犬も歩けば棒にあたる

地方の大学生のブログです。思ったこと。感じた事。考えたこと。実現したい事。悩んだことうれしかったこと。あるいは僕の生活を通じて、僕の経験が誰かの役に立ってくれたらうれしいです。

占いマジック

占いうけてきました。

横浜中華街の露店で。

タイムセールらしく5分1000円で受けさせてもらいました。

 

まずは、自分の手相をみて自分がどんな気質を持っているかをしり、次にタロットカードで今後の自分について知りたい事を聞きました。

 

手相はさておき、

私が何より気になっている、「将来の職業」について占ってもらいました。

 

すると、今希望している

教師という項目でタロットカードの死神が出ました 笑

 

死神そのものは決して悪いわけではないらしいのですが

死神には、創造、再生、破壊の意味合いがあるらしく、

教師になるまえ、あるいわ、教師になった後に教師に対する

違和感等々を感じやめてしまうようなことを占い師さんは言っておられました。

 

 

私は、友達同士でふざけ半分で占いを受けたのですが

このような結果がでたので大変驚いています (笑)

 

本当に教師になりたいならばこのような占いに惑わされることはおかしい

 

という思いもあるのですが、すでに自分自身、教師になることに対して

全く迷いないわけではなく、教師を取り巻く環境、教職について

大学で勉強すればするほど、教師になることに対してためらいも生まれました。

 

教師になってしまっては、教育についての問題は解決できない

つまり、研究者や活動家になって種々の問題を解決したいと思う

自分もいるのです。

 

また、社会について微塵も知らない自分が

何も知らないまま、教師という職業になることを決めてしまって

いいのかという思いもあります。

 

もしかしたら、自分に合う職業が他にあるのかもしれません

 

たしかに、恩師のような教員になり、生徒を伸ばしてあげたい

そんな思いもありますが、実際問題簡単に決められません。

 

占いの根拠はどこにあるかわかりませんし、

ふざけ半分でやったことにここまで

惑わされる自分にも驚いてしまうのですが

 

占い師に聞いてしまうということは

それほど、何かしらの答えを、確かなものを

どこかに求めていたんだと思います。

 

大学受験には教科書があって、参考書があって、過去問があって頼れるものがあったのですが、これから先の人生おいては自分で切り開いていくしかありません。

 

難しいですね

卒業してから早1年

Twitterなどを見ていたら自分が高校を卒業してから1年経ったことに気づきました。

 

そして、先日母校の先生の移動が発表され、お世話になった先生方の中にも何人か母校を去ることを知りました。

 

高校を卒業してから早くも1年。

昨年の3月に頑張れと背中を押してくれた恩師の

母校での最後の姿を身に母校の離任式に行きたいような気がするのですが

恩師の期待とは裏腹に堕落しきった今の自分の姿を見せるのは

恩師たちに対して非常に申し訳ないような気がして

なかなか気が進みません。

 

私はこれまで、卒業した母校に訪れたことは一度もありません。

 

訪れる機会がなかったわけでもありません。

そして、卒業した途端、仲が良かった同級生に会おうとも思いません。

今の自分を前進させてくれるのは目の前にある目標だけだからだと

思っているからです。

 

別に母校によく訪れるOBを批判しているわけではありません。

 

しかし、私は何か大きなことを成し遂げるまでは、目標を達成するまでは、今の場所で輝く自分を見出すまでは後ずさりできないなと思うからこそ、恩師に今は顔向けできないと思うのです。

 

高校や中学校というのは自分の力を証明してくれる機会があったり、自分をしっかり見て、面倒見てくれる人がいるので、自分の頑張りや成長がしっかりとわかるのですが、大学は全く違います。大学はゼミや研究室に入ればこそ別ですが、基本的に担任のように自分と1対1で向き合ってくれる大人はいません。そして、勉強もそれぞれ専門性がたかまり、学力を比べるのが難しくなってきます。つまり、高校のように学力が上がったことなどもなかなか向上もわかりません。

 

大学では、何をすべきか

 

これは非常に難しい問であり、僕自身この一年迷いに迷いぬいて答えを見出せぬまま、漫然とした一年を過ごしてしまったなと思います。

 

来年自分は恩師に対して

 

頑張っています

 

こう胸を張って言えるように

この一年、考え、勉強し、行動していきたい

 

そう思います。

 

#卒業 #成長 #恩師

 

 

 

他人にイライラしない方法

こんばんは
今回は他人にイライラしない方法について
考えていこうと思います

まずなぜ、このテーマになったかというと…
今、某飲食店でアルバイトしているのですが、
お客様あいてにも従業員相手にも様々なことで何度も何度もイライラしてしまうことが多かったんです。だから何度もバイトをやめようと思ったのですが、やめる勇気もなかったですし、続けていくことに若干の美学をかんじていたので、逆にイライラしないようにすればバイトも楽しいのではないか、と考え直し、言動を変えたら、バイトも幾分か楽しくなり、イライラすることも減りました。

その原因等等についてこの記事では書いていきます。

まずはじめに僕が行ったことは
他人へ期待することをやめることです。

イライラの原因って自分の期待が裏切られたこと、自分に予期せぬマイナスなことが起こったことなどが考えられますよね。ここで、他人が、自分のぶんの仕事をやってくれる、お客様は愛想の良い対応をしてくれるなどの稀なプラスの期待は一切やめてしまうのです。むしろ従業員は何もせず、お客様も質素な対応をするものと鼻から想定していれば、何もなく淡々と仕事をすることができます。

次に自分以外の人を全て尊敬することです。
つい最近までの僕は自分の能力を過信していて、なにかしらにつけて他人を見下すクソだったのですが、自分がイライラするのは自分の能力が低く、許容範囲が狭いことが原因で、むしろ自分以外の人は僕が思っている以上に能力があり、みんな僕より優れていると思うことで、他人の行為に対して何もイライラをしなくなりました。すごいと思っている先輩の行為が全てかっこいいと思えるように、素晴らしいと他人を思うことで、他人の行為を受け入れることができるようになりました。周りの人の良いところを見出すことは、楽しいことですし、意外な一面を発見できたり、自身の観察眼を養えたりと、自分にとっても良いことがたくさんあります。

3つ目に
寝不足の状態でバイトにいかないことです。

寝不足は最もパフォーマンスを低下させる要素ではないか、そう思っています。空腹なら水を飲んだりすれば落ち着きますが、寝不足ばかりはなかなか解消しにくく、頭痛などをもよおしてくるとさらに厄介です。僕はバイトの前に眠気があれば必ず少しでも仮眠をとってベストのパフォーマンスができるように準備しています。たとえバイトであろうとも体調をととのえ、楽しくやらなくては、ただただ苦しい労働になってしまいます。


自分の気持ちを1つで変えられることはたくさんあります。ぜひ実践してみてください

良い曲とは

こんにちは
今日は歌について考えてみようと思います

というのも、僕の大学で曲の歌詞を日本語の観点から論じるというレポート課題がでていて、それに取り組んでいる最中にいろいろ考えることがあってこの記事書き始めました。

曲の歌詞っていざ、改めて吟味して
読み解こうと思っても、不完全でけっこう
難しかったです。特にも歌詞は視点がばらならで、相手に気持ちを伝える手紙のような形態のものあれば、とある主人公の存在を描く三人称視点のものある。あるいは自分の思いをひたすらに述べたものあるので論じるとなると状況をうまくくみとらなくてはいけません。またこれは聴き手の解釈によって変わっていくこともあるので歌詞って思った以上に奥深いなあと思いました。また、曲に合わせる以上、日本語の意味が中途半端な部分があったりします。おそらくですが、曲は歌詞と曲調(リズム)っていう2つの要素がうまく組み合わさり歌詞の不足している部分を補完したり、曲を飾り付けしたりするのかなと考えました。(素人意見)

ここで、改めて思ったのが
「良い曲」って一体なんなんだ
ということです。

良く聞きませんか?
「あの曲いいよね〜」「共感できる!!」などなど
曲のよさってなんなんだろうかと
僕はよくわからなくなってしまいます
素人の意見で曲の良し悪しを言うのはなんだか恥ずかしいからです。

しかし、今回のレポート課題をやって気づいたことは、シンガーソングライターというのは
凄まじくセンスの必要な仕事なんだと
いうことです。

曲調と歌詞の2つの要素で
聴き手に情景を浮かび上がらせたりさせること、世界観を作ることって相当難しいことではないかと僕は思います。

ここでやはり気になるのは
良い曲の定義です。

音痴であるかどうかによって
歌の上手い下手は決まってくると思うのですが、曲の良し悪しとは一体何を基準に決めているのでしょうか。

いろいろネットで調べてみると
良い曲に関しては様々な個人的な見解がみられました。

また私の友人で芸術家がいるのですが
彼曰く
「曲は単純に歌詞を理解できたり、共感できること以上に、日本語の響きの良さや意味の重なりを味わえることのほうが重要だ」などと言っていて、やはり、人によって良い曲の解釈は違うのだなあと思いました。

このテーマの現時点での私の結論は
「良い曲」とは聴いた人がその曲を「良い曲」と認めたら良い曲になるということです 笑

だから、人によって良い曲は変わっているだろうし、逆にあの曲はダメなどというのは曲の作り手にもその曲を良いと思っている人にも失礼な言動だと思うので、やめるべきことですね

ではでは

どんな仕事も尊いと思いたい。

どんな仕事でも尊いと思いたい。

これは、僕が先日アルバイトをしながら思ったことです。

僕は、それまで、誰かが言っていた

「大学生は、親から金をもらいながらなんの役にもたたないアルバイトという活動に大きな時間を割く」という話を見て、

僕も、専門科目の勉強を深めようともせず、お金欲しさにアルバイトばかりして、なんだか親にも申し訳ないし、消耗するだけの日々かなあなんてことを考えていました。

 

しかし、よく考えたら、本当にアルバイトは単純に時間とお金を交換する行為なのか、ということに疑問をもちました。単純作業の中に何を見出せるのか、という声が聞こえてきそうですが、僕は、断言できます。

アルバイトは確実に社会勉強になります

 

僕は、これまでに、塾講師と飲食店でバイトしてきましたが、

嫌だったことも楽しかったことも悔しかったこともうれしかったことも

沢山ありますが、何よりも礼儀やマナー、店を経営していくために、店側が行っている工夫、広告の出し方、など等たくさんのことを学びました。大手のチェーン店というのは、チェーン展開できている、つまりそれだけ成功している店なので、そこには学ぶべきところがたくさんあると思います。従業員をしっかりと指導してくれるので、僕もお客様の対応に慣れ、大人との会話もしやすくなりました。

 

ところで、なぜ、今日のようなテーマに至ったかというと、先日、大学の食堂で、

隣の席に座っていた、女子大生が「あの仕事ダサくないw」と言っていたのを耳にして、改めて、仕事について考えたからです。

 

人にやとわれていようが、いまいが、犯罪でない限り、すべての仕事は人にために行われいるはずです。

それが、清掃員でも、医者でも、大工でも、レジ打ちでも、誰かのために行われているのは確かです。本人の意思に関わらず、その仕事が嫌だろうがどうだろうが、それを求める誰かのために行われています。

 

たしかに、医者とスーパーのレジ打ちを比べれば、収入も異なり、資格も必要であったりと、医者の仕事のほうが社会的地位が高いことは事実でしょう。しかし、スーパーのレジ打ちだって、いなければ、たくさんの人が困ります。

 

誰でもできるから

なんてことでその仕事を卑下したり、馬鹿にすることは絶対に良くないです。

 

その仕事頑張っている人がいる。このことはすごく尊いのだと思います。

 

みんながみんな、やりたいことで飯を食っていけるわけではありません。

毎日つらい仕事に耐えて耐えて、数十年という人たちがたくさんいます。

 

 

その人たちに対して

「まだ消耗してるの」などというのは最高に失礼です。愚行です。

 

自分がうまくいっているなら、それでいいのです。

自分の価値観を押し付ける必要はないでしょう。

 

どんな仕事でも頑張るその姿は何にも代えがたい美しカッコ良さがあると思います。

僕はそう信じています。