犬も歩けば棒にあたる

地方の大学生のブログです。思ったこと。感じた事。考えたこと。実現したい事。悩んだことうれしかったこと。あるいは僕の生活を通じて、僕の経験が誰かの役に立ってくれたらうれしいです。

どんな仕事も尊いと思いたい。

どんな仕事でも尊いと思いたい。

これは、僕が先日アルバイトをしながら思ったことです。

僕は、それまで、誰かが言っていた

「大学生は、親から金をもらいながらなんの役にもたたないアルバイトという活動に大きな時間を割く」という話を見て、

僕も、専門科目の勉強を深めようともせず、お金欲しさにアルバイトばかりして、なんだか親にも申し訳ないし、消耗するだけの日々かなあなんてことを考えていました。

 

しかし、よく考えたら、本当にアルバイトは単純に時間とお金を交換する行為なのか、ということに疑問をもちました。単純作業の中に何を見出せるのか、という声が聞こえてきそうですが、僕は、断言できます。

アルバイトは確実に社会勉強になります

 

僕は、これまでに、塾講師と飲食店でバイトしてきましたが、

嫌だったことも楽しかったことも悔しかったこともうれしかったことも

沢山ありますが、何よりも礼儀やマナー、店を経営していくために、店側が行っている工夫、広告の出し方、など等たくさんのことを学びました。大手のチェーン店というのは、チェーン展開できている、つまりそれだけ成功している店なので、そこには学ぶべきところがたくさんあると思います。従業員をしっかりと指導してくれるので、僕もお客様の対応に慣れ、大人との会話もしやすくなりました。

 

ところで、なぜ、今日のようなテーマに至ったかというと、先日、大学の食堂で、

隣の席に座っていた、女子大生が「あの仕事ダサくないw」と言っていたのを耳にして、改めて、仕事について考えたからです。

 

人にやとわれていようが、いまいが、犯罪でない限り、すべての仕事は人にために行われいるはずです。

それが、清掃員でも、医者でも、大工でも、レジ打ちでも、誰かのために行われているのは確かです。本人の意思に関わらず、その仕事が嫌だろうがどうだろうが、それを求める誰かのために行われています。

 

たしかに、医者とスーパーのレジ打ちを比べれば、収入も異なり、資格も必要であったりと、医者の仕事のほうが社会的地位が高いことは事実でしょう。しかし、スーパーのレジ打ちだって、いなければ、たくさんの人が困ります。

 

誰でもできるから

なんてことでその仕事を卑下したり、馬鹿にすることは絶対に良くないです。

 

その仕事頑張っている人がいる。このことはすごく尊いのだと思います。

 

みんながみんな、やりたいことで飯を食っていけるわけではありません。

毎日つらい仕事に耐えて耐えて、数十年という人たちがたくさんいます。

 

 

その人たちに対して

「まだ消耗してるの」などというのは最高に失礼です。愚行です。

 

自分がうまくいっているなら、それでいいのです。

自分の価値観を押し付ける必要はないでしょう。

 

どんな仕事でも頑張るその姿は何にも代えがたい美しカッコ良さがあると思います。

僕はそう信じています。